2018年12月17日
談山神社の石造物
今年初めのことなりましたが家族で奈良へふらりとドライブがてら奈良県の桜井方面へ遊びに行くことがありました。ここあたりは大変のどかな環境で、歴史の街としても名高く、現在は木材の街として栄えています。国道沿いには丸太や製材された材木が集積され、製材所や材木商が立ち並びます。この国道165号から山道へ入りしばらくいったところに目的地のひとつ”談山神社”があります。現在は中臣鎌足を祀る本殿を中心とする神社で、もともとは神仏習合の寺院でしたが、明治の廃仏毀釈の際寺院を廃止、現在のように神社となりました。長い歴史の中、動乱に多く巻き込まれ多くの建物が消失をうけて現在残る建物で著名なものといえば、創建当時から存在し、数度の消失をうけ、現在あるのもは1532年に再建された、木造の十三重塔では世界最古である十三重塔でしょう。壮麗で重厚な佇まいを持ち高くそびえ立ち、周囲の自然とも調和し溶け込んでいる様子です。
ところでこの談山神社周辺には大変重要な石造物がいくつかあります。まずは石灯籠です。これは後醍醐天皇寄進とされる鎌倉時代後期の名品です。基礎から宝珠まで当時の状態で残っていて、笠の蕨手を一部欠損しているもののバランスよく優美な灯籠です。宝珠の請花には変わった文様(卵型?)が刻まれています。傘には緩やかに軒の先には丸い蕨手を設けています。この灯籠の最も見るべき点。火袋六面のうち四面に蓮華座上に月輪を陰刻しその中に四天王の種子を薬研彫りします。またその下には二区の格狭間を設けており、火袋一つでも豪華仕様ですが大変まとまりよく美しく感じます。中台二段の受座の下の各面にも二区の格狭間を設けて、その下はいい彫りの蓮弁で受けています。竿の中央には三重の節を設け四方に蓮華紋を刻んでいます。竿の下の基礎上部には複弁の蓮弁模様を刻みます。基礎下部にはやはり肉の格狭間を設けています。このような名品が何百年と残っていて私たちを迎えてくれるのは大変幸せを感じます。
次に見学したのは摩尼輪塔と呼ばれるものです。これは大変珍しいもので、いわゆる町石で、寺院へいたる道しるべとなる石造遺物となります。そのなかでもこれは最終のものとなり特別な作りとなっています。八角柱の塔身の上には四角の先端がやや反り返った笠と宝珠があります。塔身の上部には円盤を彫り出し中央に大きく梵字で(アーク)を刻みます。これが素晴らしい薬研の彫りで均整のとれたものとなっています。
最後に見学したのは淡海公の十三重塔です。淡海公というのは中臣鎌足の二男藤原不比等のことであります。周りを木々で囲まれていて、かなり大型の塔で相輪を欠いていますが堂々たるものです。この塔の不思議なところは正面から見るとしっかりと加工がなされているのですが、背後に回ると下十層と基礎と塔身が自然石のままの状態となっています。これがほんとうに不可思議で何らかの理由があったのか、単に材料が手に入らなかったのか、色々想像をすると楽しく思います。奈良県を中心に活躍した伊派石工(井行元の刻印あり)の作と考えられるものなので、大変貴重なものであります。
この他にも鎌倉時代の弥勒仏の石仏も少し離れたところにあったそうですが、前情報が不足していたので行けませんでした。これは次回への楽しみとしたいと思います。途中に石仏群があったのので写真に撮っておきました。これらも古いものと考えられます。